勉強することによるメリット

タイトルの通り、そんな事を考えていました。普段はそんな事は毛ほども考えないのですが、早くも夏休みムードに飽き飽きし始めているため、普段考えないような内容が頭をよぎったわけで。まあ考えたからには一応書いておくか、ってくらいの内容。


 論理的な思考を育む為、だとかいい大学に行って良い職に就くため、とかそういう考え方もあるでしょうが、俺がまず思いついたのは「小難しい用語を覚えることで、口論の際に優位を取れるようになる」でした。まあ日常生活で使う、と言う事を考えると口論というよりも言い争い、というレベルのものでしょうが、その際でも勉強することのメリットは発揮されるはずです。
 おそらく、「うるせえ馬鹿野郎」等といった罵詈雑言に反論をするよりも、「あなたの言い分は筋が通っていない。もうすこし論理的に話を組み立ててくれないか」等と言って反論する方が、傍から聞いている人には正論を言っているように思えるでしょう。口うるさく感情的になって声を荒らげる人間よりも、冷静且つ理性的に反論をする人間の方が、周りの人達からすれば好印象に見えるのは当然といえるでしょう。仮に、その丁寧且つ知識溢れる反論をしている方が正しくないとしても。
 ここまで書いてみたけどやっぱり何も考えないで書き始めると収拾つかないね。まあ、勉強していた方が口論とか始めちゃった時に周りの人に好印象与えられるんじゃないかな、って思ったという話。でも現実だと声高々に叫んだほうが勝ちになる事が多いからそんな事もないのかもしれないですねえ。


 世界は順調に発展していってるけど、その発展も大したことねえなーとか思ってしまう。何でって、未だに人間が日本基準で一日最低8時間も働かないと社会が成り立たないから。本当に発展してるんなら人間働かなくても生きていけてさ、働きたい人だけ働くような世界になってると思うんだよね。だって、人間が求めるのって「幸福」じゃん。いや、人によっては仕事に明け暮れているのが幸せな仕事の蟲だっているだろうけどさ、(多分)大半の人間にとって仕事は何だかんだいって苦痛であるし(そりゃあ客に喜ばれる、とか何かを達成する、とか小さい喜びはあるだろうけども)、何より朝から夜まで仕事に拘束されて本当に幸せを追求できるのか、って言う疑問が起きるわけです。
 何よりも大体の場合、朝起きて仕事(バイト)に行って皆で酒飲んだりした後家に帰ってちょっと趣味をした後寝る、のように一日のパターンがある程度出来ちゃうんですよ。毎日同じようなパターンで過ごして、それに疑問を持たないようじゃ人間的生活を送ってると言えるのだろうかとかそんな事を考えちゃいます。自分の生活も「仕事」の部分が「大学」に変わってるだけでほとんどパターンになってました。そーいう生活が幸福だとは到底思えないし、かといって人間社会において仕事もせずに自分のしたいようにやっていたら生きていくのは難しい。そんな事を考えちゃうと、自分の生きている意味とかないんじゃねーかなーとかネガティブ思考が急成長して行っちゃうので考えないようにしていましたが、休みに入って色々と思考してたらまた考え始めちゃったので書いておきます。
 もし妄想する、という行為を奪われたら俺は間違いなくこの世界に絶望する。その後は・・・まあ回りでも巻き込んで色々としておっちぬんじゃないかなあ。まあ人の思考を制限する方法なんて現状ないので考えるだけ無駄な事ですが。