俺はあまり感じたことはないが、同じ年代でも日本語力(語彙力)に格差がついていたりするのだろうか。今の所ゼミの人達も語彙力は平均以上、つーか自分以上に持っている人多かったし、同じ学部の友人も語彙力は豊富だし。まあ大学に入ってきたわけだから持っていないとおかしいのかもしれないけれども。
 何にせよ一番難しいのは、難しいことを簡単に伝えることですよね。難しいことを難しく、簡単なことを小難しい言い回しで言うのはそこまで難しいことではないけれども、難しいことを簡単にするのはとても難しい。これを解決するためにイエス(聖書)ではたとえ話、という手段を用いて説明していたわけだ。
 会話でもっとも重要なのは伝えたいことを伝えることなわけで、相手の理解できない語彙を多用して優越感に浸ったところで何の意味もないわけだ。まー問題は、それを解決するためにたとえ話を理解してくれないような人達も居たりすることなんだけどね。
 仮に問題があるなら、知識がないことを問題と思わないような人も多いって事ですね。知識がないことは悪い事ではないけれども、それを自覚していないならまだしも自覚していながら悪いと思わないような人は・・・援護とか出来ない。情報の伝達はわかり易く伝えようとする努力と、理解しようとする努力の双方があれば大抵は伝わるんですよね。
 まー何が言いたいかというと当たり前のことを小難しく言おうとする社会学学術書はどうにかしてくれ。真面目な文章中に出てきたら間抜けな響きになったりするのかもしれないけれども、混乱させちゃあ意味がないよ、と。つーか専門書って身内向けに書かれてるから無駄に言い回しが難しいんだよなあ。


 簡単な文章を小難しくしたい!そんなときに便利なのは類語辞典。これを使ってありふれた描写もなにか難しく高尚そうなものに大変身。ラノベでよく使われる手法ですね。まーでもラノベという厨ニ気味な文章でも、読むことは少なからず語彙力に影響は与えると思います。腐っても商品として売り出されている以上、日本語文法が破綻しているものは少ないし。比喩表現や感情の表現なんかは結構勉強になりますしね。
 やっぱ映像媒体でしかほとんど日本語に触れない人とかいるのかねー。字幕が読めないって人がマジで居るならそれは問題かもしれないけれども。