最近の少年漫画界では努力型主人公がいない、という意見があるような気がするので何故努力型が少ないのか、それを考えてみる。
・努力型だとアンケートが取れない
 ジャンプ系だとこれな気がする。
 少なくとも、ジャンプで努力型が流行らないのは序盤から派手な展開が作りにくく、アンケートの票を貰えないからだと思う。最初から実力のあるキャラが主人公の漫画だと一話目から派手な勝利をあげる事で、インパクトや爽快感を与えられるからアンケートに有利なんじゃないかと思う。努力型主人公と銘打つならば、努力しているシーンや挫折しているシーンなんかが序盤から必要であり、そういうシーンはあまり見ていて印象に残ったりはしないですから、やっぱ順位とかを考えると努力型は描き難いんじゃないだろうか。


 もう思いつかない。持ってるちょっと古い少年漫画が努力系か才能系かを考えてみる。
北斗の拳
 才能型。ケンシロウは最初から最強クラスの実力で、強さの絶対的条件に血筋が入っている。血筋なんてのは努力でどうしようもないので才能型でしょう。北斗の拳で一番重要なのは哀しみや執念、愛などの精神的な部分だったりしますが、それは努力才能とは対して関係ないので割愛。
キン肉マン
 そもそも最初はギャグマンガだったから、少し曖昧だけど。とりあえず、王位争奪戦前までは確実に努力型でしょう。王位争奪戦で後付けがどんどん出てきて(王になるには)才能が必要になってきちゃってましたが。というかこの漫画、超人は生まれついて持ったパワー以上にはならない、と名言されているのに100倍近い力の差を覆しちゃったりするんで実力とか対して関係ない気がする。とりあえず友情が一番必要な力。友情があれば人間でもサンシャイン倒せる。
ドラゴンボール
 サイヤ人編の前くらいまでは努力型な気がする。それ以降はサイヤ人一強だけど。ただ、努力した分だけきちんと成長している、という点で見れば努力型とも言えなくもない。努力の量で言ったらゴクウは多分一番修行してるし、クリリンなんかもちゃんと成長してるわけだし。修行と狩りしかしていない、っていう公式設定持ちだし。それに努力したからって全員戦えたらそれはそれで興ざめな気もする。そりゃ力の限界に差くらいあるさ。
ジョジョ
 1〜2部は努力型、それ以降は才能型。波紋は技術であり努力で習得可能だけど、スタンドは精神的な産物で使える者を選ぶわけだから才能型。


 まあ、所謂努力型と呼ばれる主人公も平均よりは才能を絶対に持っているんですけどね。ここらの線引きが難しいよ。個人的にはバトル漫画の主人公はほぼ全員才能型だと思ってるし。