今日の授業中、後ろの人に私語を注意されました。まあ、軽く50分近く私語をしていたわけだし注意されるだろうなーとは心のどこかで思ってたけど、その際に色々と思う事があったのでちょっと書いてみようと思う。これからの文章には授業中に私語をしていたと言う事を棚に上げたような表現をするかもしれませんが一応反省はしてます。気になるかもしれないですが、そういう方は読まないほうがいいかもしれないですね。
 私語をしていて注意されたわけですが、注意した人が言ってきた台詞は「うるさい」だけでした。聞いていて明らかにイライラしている感じが伝わってきたので、よほど前で私語をしている連中、ようするに俺たちにイラついてたんでしょう。で、思ったんですが、なんでイライラするまで我慢してたんでしょうね。俺たちはそれこそ授業が始まる瞬間から(というか始まる前から)ずっとおしゃべりしていたわけです。授業が始まってもおしゃべりし続けてる人間が、果たして「周りの人々が迷惑しているからやめよう!」などと突然今までの行為を猛省し真面目に勉強を始めるでしょうか。おそらく、そんなことはないでしょう、というか実際注意されるまでしゃべりまくってました。ちょっと考えれば、注意しない限りずっと話し続けることはわかるはずです。それなのに彼は、いつかは周りの人の事を考えて静かにしてくれると思い黙っていて、結果イライラを募らせて爆発させた(怒気を含んだ注意をした)わけです。怒気を含んだ、棘のある注意はあまり良いとはいえません。怒気が感染して相手の反発を生みかねません。
 だから、私語が気になったらさっさと注意すればいいんですよ。「うるさいから静かにするなり筆談するなり退出するなりしてください」って。感情を伝えるだけでなく解決策を提示するのが正しい注意の仕方でしょう。「うるさい」だけでは「そうなんだ、で?」という反応をされても文句は言えません。「何をして欲しい」と意見すればNOと言えない日本人ですから、素直に従うでしょう。まあ、「うるさい」だけでも何をして欲しいかは伝わるんですが。
 何か不愉快に思ったなら早め早めに伝えた方が自分にも相手にも良い事が多いです。我慢するだけ我慢するとイライラしてきてしまいますし、注意された側も「許容されてたと思ったのに今更注意するのかよ」という気持ちになってしまったりします。黙っていても回りのことを理解してくれるなんて思ってはいけません。黙っていても理解してくれるのは対象がサトリか憤っている人がサトラレな時くらいでしょう。皆さんも、何か思ったらストレートに伝えるべきだと思います。手伝って欲しいといわれていないのに「手伝わなかったじゃない!」と憤られても理不尽ですから。




 ところで、「他人にやられて嫌な事を自分にするな」っていう考え、微妙に危険ですよね。逆に考えると他人にやられても構わない行為ならいくらでもしていい、ととれるわけですから。日本は周りの目を気にする躾をすることが多いです。公共の場で騒ぐ子供に対して母親が「周りの人の迷惑だから止めなさい」と諌めたりします。それが普通に叱るよりも効果的と言う事は、まだ日本も他人に対する思いやりの心が根付いていると思っていいのでしょうか。
 それはさておき、個人的には少し騒がしい方が集中できる性質なので授業中の他人の私語は気にならない人です。となると、上記の論理からすると俺は私語し放題とも解釈出来ちゃう気がします。まあ、誰かに聞いたら9割がた「間違ってるよ!」という答えが返ってくるでしょうが。詭弁な気がしますしね、自分で書いてても。